発覚から5ヶ月 母 手術 6/14

朝 6時35分 電車で 1人 有明に向かう。

静かな雨。8時少し前に着。

 

早めに 手術室に行こうとしたが、早すぎた。待機余儀なく。

コロナ対策、1人だけが行ける。

私が見送り、終わりは弟が行く。

 

最初の方が早く終わり、30分繰り上がる。手術室の前に着くと 3組程が 見送りに来ている。様々な家族模様。患者の手を自分の額に当ててエールを送ったり、じゃあねとバイバイしたり、とりわけ合図せず、看護士と話だす人 、   交々。

 

まだかしらと待つ。

看護士さんと 歩いてきた。

 

先ほどまで ざわつきは 消え、

手術室の前は 私たち3人だけ。

 

痩せて 骨ばった背中をさすり、真っ白の

手を握った。両手を胸の前でくみ 少し声の混じった息を吐く。痛々しい 緊張 。チャー坊の写真を見ると一気に軽くなる。

確実に 気を紛らして くれた数分に感謝(^^)

背中をさするしか出来ない。

緊張がアップする イやな時が流れた。

 

ついに、青い看護服のお2人が出迎えにきた。

背中をさすり 何も言わずに 送り出した。

歩き始めた肩に 手を伸ばして ポンと

軽くエールをおくった。

振り返りながら 入る姿。恐怖と闘う姿に

 涙が出てくる。とにかく 無事に出てきて。

待ってるから。

 

無機質で 静かなる重圧。

 

父とは 普通の会話は不能。形骸化した家族は

余計に 虚しさを増すだけ。

何も期待はしない。

 

どうか 苦しいが 乗り越えて 💐

ちゃーも エールを送っているから!

 

頑張って なんて  絶対に言えない。これ以上 頑張れない 位に 耐えているから。

 

あと 5時間後には 無事に終えて

きれいな体になって戻ってきます!

 

生きるとは 修行なのか。

めぐみ。

 

 

 

手術室 前で 母を待つ。

穏やかな日差しの中に

いつもにはない渋滞

手術室に入る母に間に合うのか、

予定6分前 警備室で乱雑に記名

三階にと ボタンを早く強く押す。

廊下が長い! 出勤する看護師さんに

遠くから叫ぶ 手術室はどちらですかと。

間に合った。しばらくしてから看護師さんと小さい母。

絶対はないが

絶対大丈夫と 信じて!!

と力を込めて背中をさすり、送り出した。

許せない気持ちを完全に手放すには、我執に気付く事 かも😊

初めて 母と2人で御先祖さまにお墓参り。帰りには清正公もお参り🤲

 

約10年前からの蟠りが溶け始めたのを感じた。

これからはコロナ禍わきまえながらも

近場の旅行、希望わく 特別なお正月でした。

母からも今日はありがとうねと言われたのが恥ずかしくも嬉しかった😊♥

 

母の人生を我が身に置き換えて考える事が出きるようになったら、今まで理解不能と思えた事も、堰を切ったように 合点がいった。🍀✴️✴️✴️

 

相手の立場にたって考える

 

そんな基本が 出来ていなかった事に気がついた。(何十年も生きてるのに👊)尊敬する先輩の言動がきっかけでした。

我を張っていると気付いてもいませんでした。自分は良い人だと思い上がっていたから😓

 

我を張りたい自分に気づくと、我を捨てる事ができる。

我を張らないと、見えてくるものが

クリアーになるように感じました✴️

偉そうな事を言う積もりはないのですが、胸のつかえ が溶け出すきっかけは我!に気づく事でした✴️✴️

 

田舎から一人で東京に嫁ぎ来た母の

奮闘振りは想像に易し。

姑小姑計4人の中に飛び込んだ母。

無口で大人しく優しい父。

西那須野では云わばお嬢様、家事は一切出来なかった母は負けん気でこなし、良き妻、母になっていったのでしょう。家の事は全て母に任された。

次第に母の味方は子供だけになったのかもしれない。夫婦喧嘩をみない日はない位の小中高時代。自然と私も母と一体となって行きました。何の疑問もなく。

 

今日はこれにて(続く)